〔掲載日〕平成17年4月15日
●仏教徒の大切な法具です

今回のテーマは「数珠」です。
珠数は仏に帰依する人、仏教徒にとって身近で大切な法具です。

最近、老若男女とわず幅広く腕輪念誦をされている方を見受けます。
様々な素材で作られた色彩豊かなものが店頭にならべられ、どれを選ぶか迷ってしまうほどで、すっかり寺院や観光名所のお土産の定番となりました。

比較的安い値段で手に入れられるようになったことや、そのファッション性がアクセサリーとして受け入れらたことが流行の要因だと思われますが、人々の「願い」や救い、癒しを求める気持ちの表れととらえることもできるかもしれません。

数珠は「珠数(じゅず)」「数珠(じゅず)」、「呪珠(じゅず)」とも書き、「念誦(ねんじゅ)」と呼ばれることもあります。また、仏前結婚式や慶事などの祝い事で贈る場合は「寿珠(じゅず)」とあらわすこともあります。

ご存知のとおり、仏を礼拝する時や、念仏を唱える時に手にかける小さな珠(タマ)を紐でつないだ輪状の法具のことです。
この珠数はその漢字から連想されるように数に関係していて、そもそもは念仏や陀羅尼などの唱えた回数を数えるために用いられたものです。

新明解国語辞書によると数え方は「一連」「一本」「一巻」と書いてあります。
珠の素材も多種多様で、伝統的には菩提樹や水晶、白檀などの香木、木の実。最近ではプラスチック製のものもあります。

厄除けやお守りといった意味合いもあり、昔から数珠の功徳を信じ人々は数珠を大切にあつかってきました。

●基本は108珠


珠数は108個の珠でできたものが基本ですが、その半分の54玉や、1/4の27珠のものなど様々な種類があります。
108とはいわゆる煩悩の数であり、珠数を身につけることにより、その煩悩が鎮まり退散し消滅するといわれています。このことは「金剛頂瑜伽念殊経」というお経に
「煩悩を滅せんと欲せば、念珠を頭にかけよ、殺盗淫妄の四重罪に堕せず、身心を清浄に保持す 云々」
と記されています。

●ロザリオの起源??

珠数の起源については様々な説があるようです。
もとはインドのバラモンが使用していたものが珠数の原型といわれ、ヒンドゥー教など仏教外でも同様なものが用いられていたようです。もともとは、修行者が祈りをささげその回数を数える時に石などをつかっていましたが、携帯するの便利なように今のような形状になったのではないかと思われます。

これは後に西洋へも伝播しキリスト教徒のロザリオ(珠数状の道具)になったといわれ、数珠と同様に祈りの回数を数えるのに用います。異なる宗教で、同様の道具が大切にされていることはなんとも興味深いお話です。

経典から数珠の起源の手がかりをみてみましょう。
「木?子経」に次のように、お釈迦さまが珠数の功徳について述べ、勧められたことが書かれています。

仏が霊鷲山にある日、難陀国の波琉璃王の使者が来て仏にお願いした。
我が国は小国であり、頻繁に兵乱があり、五穀も実らず人民の心安らかでない。忙中ににでも仏道を修し滅罪の法あれば教えたまえ。
仏は即座に木?樹子一百顆を糸に貫きて身に随えて三宝(仏・法・僧)の称名をして、木?子を廻すこと百万遍せよ。諸天の加護を蒙りて夜摩天に生ぜんと。王は大いに歓喜して一千連を造り六親眷族が善業を修したの国が安泰になった

いずれにしましても、珠数は仏教の広まりとともにその意味づけがなされ、200年〜300年頃に仏教の法具として定着しました。

●聖徳太子は数珠をつかっていた

ちなみに日本へは仏教の伝来ととも伝わったといわれており、聖徳太子の愛用したとされる蜻蛉玉金剛子や聖武天皇愛用の珠数が正倉院に現存しています。現在の基本形である108玉の珠数はインド僧・菩提遷那が日本へもたらしたたそうです。

珠数の基本形は各宗派とも同じで、いわゆる片手用といわれるもは各宗派共通で使用できます。しかし、二連のものや長いものは宗派によって房の形状や珠の数などに違いがありますので、お求めの際は菩提寺やお店で「○○宗のものが欲しい」とご相談ください。

●大数珠くり

珠数に関してもう一つ。
「大珠数繰り」というものをご存知でしょうか。最近では見かけることも少なくなりましたが、かつては地蔵盆に各地域で行われたり、大晦日にお寺なされていました。
巨大な珠数を、多くの人が集って輪になって繰っていきます。念仏を唱えるところもあれば、地域に伝わる唄をうたうところもあるようですが、多くの手で繰られることでその功徳は増し、子供たちの厄除けや健康祈願、所願成就が願われました。

京都の百万遍に「百万遍念仏根本道場」といわれる浄土宗・知恩寺がありますが、ここでは現在も頻繁に大珠数繰りがおこなわれており、御影堂を一巡りするほど巨大な珠数があります。
その他にも地域やお寺に大数珠が残っているところもありますので、たくさんの人の手で受け継がれてきた数珠を後世に伝えていきたいと思います。

●みんなで持とう「マイ数珠」

キリスト教徒は十字架をそのシンボルとしています。仏教ではそれにあたるのが珠数だと思います。
最近はファッションとして十字架(クロス)のネックレスやピアスをする若者がたくさんいます。そこには信仰は存在していない場合がほとんどで、ただ「カッコいい」というだけで身に着ける人が大半だとおもいますが、もしあなたが仏教に関心を持ち、仏のみ教えに心を寄せるなら、十字架の代わりに、珠数を持たれてはどうしょうか。

珠数は、私たちと仏とをつなぐ通行手形のようなものです。
珠数を手に、合掌し心を鎮め、一心に念ずる。そうすることで、仏と心を通じ合わせることができるのです。

日々の生活の中で、仏の教えやその存在を思い起こさせてくれ、我々をうつす鏡、仏道を歩む私たちの足元を照らす役割を果たしてくれるはずです。

最近はたくさんの珠数が求めやすくなっています。これを機会にぜひご自身の「マイ珠数」を手にされてはいかがですか?
珠数を手にすることで日々の生活の中でみほとけの声が届くことでしょう。
愛着のある珠数を手に、安らぎのある穏かな生活を過ごされませんか。

(龍)
佛教メモ トップ > 「珠数」について